難波 本当に3人で会ってなくてコミュニケーションを取ってない時期があったから、そういう時間を2012年以降の3年間で取り戻したというか。スタジオに入って、音鳴らさないでしゃべってるだけでも楽しかったですし。それがあって、去年のライブ3本に向かったんですよ。

-- そうやってバンドとして自然な形で動いてきたから、ツネさんが言うように流れで新曲もできたと。

横山 そうですね。実は2012年の『AIR JAM』以降、スタジオで新曲作りにトライしたこともあったんです。でも、それは失敗したんですよ。いくつかボツになったよね?

難波 うん。

横山 やっぱり急にはできなくて。よく他のミュージシャンを見ていると「なんでこんなことに、こんなに時間がかかるんだろう?」っていう活動をしている人、いますよね? でも、いざ自分たちがそういう立場になってみると「ああ、本当に時間かかるんだな」って思いましたね(笑)。お互いハイスタに対してどういうものを求めているのか三者三様であるだろうし、どういったところに向かうべきかのビジョンも三者三様だろうし、それを無言で擦り合せる時間が必要だったんです。

難波 音を合わせて、まずは心が通っていかないと曲にはならない。ただ前の曲をやってりゃいいってわけじゃなくて、その時間は必要だったんですかね。だからみんな「なんで2013年は何もやらなかったの? 『AIR JAM』やらないの? なんでそこで止まるの?」と思ってたと思うんですよ。止まってたわけじゃなくて表立っては活動してなかっただけで、俺たちの中では沸々と始まってたんです。

横山 そう。活動を期待されちゃうから何も公表もアナウンスもできなかったけど、本当に新曲は作ってました(笑)。

難波 で、Fatと尽未来際とパワストと、本当にあそこでタイミングが合ったから3本やって。あのブッキングもちょっと奇跡的だったんですけどね。まずFatからオファーがあったんだっけ?

横山 いっちゃん最初は尽未来際。で、その直後にFatから話があって。そこから「2本だけやるんだったら、俺たち札幌で活動をストップしたはずだから、札幌にも戻ろう!」って話になって。それで(SLANGの)KOちゃんに「出させて!」と連絡したんです。

難波 その前の3年があったからか何なのかわからないけど、2011年とも2012年ともまた全然違って、めっちゃヤバかったし、めっちゃ楽しかったし。

横山 ここでちょっとぶっちゃけ話。2012年までは僕たちは『MAKING THE ROAD』と『Love Is A Battlefield』で止まってたんですね。10数年前の曲を演奏するだけのバンドと言ったら自分たちのことを低く見すぎかもしれないけども、それを期待されてるし、それをやるべきだった。でも2015年の3本のとき、僕たちの手元には、人には話してなかったけど新曲が1つ2つあって、とにかく動いてる実感があったんです。「俺たちやってるよ?」っていう自信があったから、現役のバンドに負けるつもりはひとつもなかったですね。

難波 そう! 特に尽未来際のときやパワストのときはそうだったけど、結構「ハイスタ出てくんだったら、やってやるぞ!」みたいなムードがあったんですよ、みんな。

横山 みんな狙ってたと思う。

難波 ぶっちゃけ言うと、後輩バンドが「俺たちがこの10年やってきたことをぶつけて、ハイスタ負かしてやんぞ!」みたいな感じで来てるなっていうのが、すごくわかったんですよ。でも、絶対に負けねえと思ってた(笑)。

横山 うん(笑)。だって、立場が逆だったら絶対にそう思うもんね。先輩のバンドがいて、そのバンドが10年ぐらい止まってたら急に活動再開して、でも何年かに1回しかライブしない。そりゃぶっ潰すチャンスだと思いますよ。でも、俺らには密かに新曲が用意されていて、動けてる実感があったので、やる前からどこに負ける気はしなかったんです。

難波 そこで俺は「ハイスタってやっぱりすげえなぁ」と思ったね(笑)。

横山恒岡 ふふふふふふ(笑)。

難波 北海道でパワストの打ち上げと、その後にツネちゃんと寿司食いに行ったんですけど、あれは忘れらんないっすね。

横山 あれ、俺それ誘われてないよ?

恒岡 あ、違う違う! 帰りの空港の話。健くんはそのまま札幌に残ったから(笑)。

横山 ああ、そっかそっか!(笑)よかった〜、あっぶねぇ〜。焦った焦った(笑)。

難波 まぁそこからっすよね(笑)。さらに「やってやろう!」と思って、曲作りも加速したし。

横山 あれをやったことで僕たちもノレたし、実際手元にいくつかあった新曲をちゃんと形にしようと、あのときに思えましたしね。